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INTERVIEW

とにかく“本当”の瞬間を撮りたかった。
だから結論を安易に出さないように
撮っていこうと。

8年前に森監督と
いろいろ話し合っていたことが、
そのままブレずに映画にできたかなと。

企画の発端

――企画が動き出したのはずいぶん前の話だそうですね。

滝田:
2000年に出版された当時、読んで非常に感銘を受けたのですが、映画化に向けて具体的に動き出したのは、今から8年ほど前、映画デビュー作『ひゃくはち』(08)が公開されたばかりの森監督へオファーした時からですかね。
森:
それが2008年の夏。長かったなあ。村山聖という濃密な人間の一生を2時間サイズの劇映画にまとめる算段がすぐには立たなくて。半年議論を重ねました。そうして村山が自分の“死と生”に切迫して向き合った最後の4年に絞って描くことに決めて、「よし、これなら映画にできるかもしれない」と。
滝田:
クロニクルの伝記映画にする選択もあったと思うんですが、監督の思い切った判断のおかげで、プランが早い段階で固まりました。そして、『マイ・バック・ページ』(11)の脚本を準備中だった向井康介さんに出会いました。
森:
向井さんは僕より2歳上で同世代。実は企画をもらった時、僕は29歳で、監督を引き受けた最大の理由は、村山が29歳で亡くなったことなんです。当時、自分と同じ年代の友人が突然亡くなって、その事実をなかなか受け止めきれなかった。だから“29歳で死ぬこと”の無念という一点を、映画を通じて探求してみたかったんです。そしてきっと向井さんなら、この意味を一緒に掘り下げられる人だと。

――村山の人生をご自分の人生に重ね合わせていたんですね。

森:
スタートはそこでした。でも作品の実現まで8年経ったおかげで、僕の視点も移動していきました。最初はもっと村山の内面のみにフォーカスしていたんですが、彼と闘った人達や、彼を支えた人達の心情にも目が届くようになった。結果、周囲の人間を振り回しながらも強烈に惹きつける、村山を中心とした群像劇に近づいていったんじゃないかと思います。

キャスティング

――主演の松山ケンイチさんはどのような経緯で決まったんでしょう。

滝田:
実は松山さんは原作を自主的に読んでいらして、村山聖の映画化を進めているという話をどこかから聞きつけて、あちらから名乗り出てくださったんです。
森:
今回、村山役をやるに当たっては、こちらから要請する前に、精神面、肉体面共に松山君自身が当たり前のアプローチとして認識してくれていました。
滝田:
それこそ『レイジング・ブル』の“デ・ニーロ・アプローチ”のような過酷な役作りですが、それに挑む覚悟を最初から持ってくれていました。
森:
松山君の場合はビジュアルだけでなく、彼自身の中の体感で村山に近づけていこうと。とにかく本人の入れ込みようが凄くて、鬼気迫るものがありましたね。松山君は撮影当時30歳で、ほぼ村山が死んだ年齢と重なります。本当に肉体と精神の変化を通して魂が乗り移っていたような迫力を感じました。

――松山さんが決まってから周囲のキャスティングに入ったわけですね。

滝田:
次にオファーしたのは村山の師匠・森信雄さん役のリリー・フランキーさん。
森:
村山の人生は森師匠ありき。世間の常識や人生観に囚われない、リリーさんの自由で懐の深い人間の質感が森師匠の役にぴったりだと思えました。そして、村山の母親トミコさん役の竹下景子さん。ひたすら純粋に息子のことを想う、リアルなお母さんの感触が欲しかったんです。そして最後に羽生さんです。

――羽生善治役の東出昌大さんが本当になりきっていたので驚きました。

森:
びっくりしたでしょう。羽生さんは今も現役でトップを走っている人で、演じるのは役者として非常に勇気のいる役。そんな難役のオファーに対して、将棋が大好きで、羽生さんの熱狂的なファンである彼は「どうしてもやりたい。自分以外の人にやって欲しくない」と。その勇気と思い切りこそが羽生役を演じる役者には必要でした。そして彼が作り上げた羽生像は、映画をご覧になっていただければ分かると思いますが、本当に素晴らしかったです。
滝田:
劇中で東出さんが掛けているメガネは、実際に羽生さんが七冠を獲った時にかけていたメガネなんです。東出さんが羽生さんご本人から譲り受けたことで、精神性がさらに生々しく宿ったのかもしれません。

撮影・ポストプロダクション

――クランクインは今年(2016年)の1月9日、クランクアップは2月15日。真冬の撮影だったんですね。

森:
こだわったのは“場所”と“順撮り”。村山が生きた軌跡を土地ごと感じながら追いたかったので、できるだけ実際現地で撮るようにしました。ロケ地は大阪福島区、東京千駄ヶ谷、広島市…。
滝田:
当時の部屋の写真が残っていて、それを参考に小物までこだわって再現しています。村山が遺した蔵書とCDのリストにあった少女漫画のタイトルなどを映画では使わせてもらっています。

――見せ場の一つである対局シーンの撮り方・見せ方に関してはいかがでしたか?

滝田:
棋士たちの表情や手の動きに加えて、決め手になったのは“音”でした。「棋は対話なり」というテーゼがあるように、将棋は盤上での対話だから、駒音一つに込められた感情のセッションが大切になってくる。だからダビングで音の表情を細かく付けていきました。
森:
生命線になったのは実際に棋士たちが残した棋譜です。作家にとっての作品がそうであるように、将棋指しにとっては棋譜が生き方。「棋譜台本」を作成し、駒の進め方もストーリーとして解釈できるよう、盤上の戦いは実際の棋譜を再現しています。特に村山と羽生の対局シーンは、松山君も東出君も将棋をわかっているから、死に際で何を指したかにすごく反応できている。彼らは棋譜を台詞のように読み解きながら、芝居していったんです。将棋を指したことのない方にも、天才棋士が将棋の思考に潜った時の“深さ”を伝えることができると確信しています。

完成した映画の手応え

――最後に、満を持して完成した力作についての想いをお聞かせください。

滝田:
8年前に森監督といろいろ話し合っていたことが、そのままブレずに映画にできたかなと思っています。当時は映画が時代に受け入れられるか自信ありませんでしたが、この8年で時代の方が変化して向こうから映画に寄り添ってくれたかな、と。震災を経て、日本人が皆、生きることの意味を真摯に考え始めた。今なら、『聖の青春』のテーマは、万人に響くのではないかと思います。
森:
とにかく“本当”の瞬間を撮りたかった。だから作為を積み重ねるのではなく、過程を積み重ねようと思って。自分なりに村山の生きた証を、「どう死ぬか、どう生きるか」を、松山君の肉体を通して見つめ続けよう。結論を安易に出さないように撮っていこうと。これから皆さんにどう観てもらえるのか、すごく楽しみにしています。