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LIFE OF 29 YEARS

1969 6.15 広島で、父伸一・母トミコのもとに3人目の子供として誕生。
1974 5歳 ネフローゼ(※)と診断される。入退院を繰り返し、入院生活の中で将棋に出会う。
1976 5歳 広島市府中町立府中小学校に入学。安静が絶対であるにもかかわらず、腕白ぶりを発揮、病状は悪化し、広島市民病院院内学級に転校。その後、より専門的な看護ができる国立原診療所に転院。聖は自由時間全てを将棋に費やし、月に3回の外出日には、対局するアマ三段の大人を負かすようになっていた。
1979 10歳 広島市内の篠崎将棋教室に通うようになり、アマ四段の認定を受ける。
1980 11歳 中国こども名人戦で優勝、さらに強い相手を求め広島将棋センターに通いだす。
1981 12歳 初上京。全国小学生将棋名人戦に参加、東京のレベルを痛感させられ、惨敗を喫する。体力がつき、薬で症状をコントロールできるようになり、療養所生活から家へ戻る。
1982 13歳 府中町立府中中学校に進学。「大阪に行って奨励会に入らせてくれ。谷川を倒すには、いま、いまいくしかないんじゃ」とプロ棋士への思いをつのらせる。
純粋でひたむきな情熱は、猛反対していた両親・親族を圧倒した。弟子入りのため森信雄四段と運命的な出会いを大阪の関西将棋会館で果たす。森は一目見て、初弟子として聖を迎えることを決めた。
1983 14歳 大阪住友病院に入院、退院後森のアパートでの共同生活を始める。
1983 二度目の奨励会試験に合格。
1983 体調を崩し再入院。月2回だけ外出を許され、対局を続ける。
共同生活の中で、森は聖という人間の魅力に引き込まれてゆく。
1985 16歳 前年に広島の実家へ戻り、中学を卒業。
順調に昇段を重ね、夏には初段昇段を果たす。
1985 大阪の前田アパートで独り暮らしを始める。
1986 17歳 四段昇段、プロ棋士となる。奨励会在籍は2年11ケ月、奇跡的なスピード昇段。
1986 18歳 羽生善治と同時にC級1組に昇級、五段となる。
「東に天才羽生がいれば、西に怪童村山がいる」と注目される。
この頃、聖は毎月の対局料からボランティア団体へ寄付活動を始める。
1989 20歳 羽生五段に若獅子戦決勝、順位戦と連敗。C級1組には3年停滞することになるが、
ライバル棋士たちとの付き合いを深め、友情をはぐくむ。
1992 23歳 兄と慕う、加藤昌彦が奨励会退会となった日、
深夜の繁華街で加藤との殴り合いの喧嘩となる。
王将リーグで2度羽生三冠を破り、タイトル初挑戦となるが、谷川王将に4連敗。
1993 24歳 B級1組昇級、七段昇段する。
1994 25歳 羽生が名人戦で米長(邦雄)を、竜王戦で佐藤(康光)を破り、六冠となる。
A級昇級を目指す激烈な順位戦の戦いの中で、対局の後は必ず体調を崩して寝込み、その度上阪した母・トミコが、住友病院に連れていった。主治医は入院を勧め、身体を休めない聖を容赦なく叱った。
1995 26歳 阪神淡路大震災。弟弟子の船越をアパート倒壊で亡くす。強いショックを受けた聖は、震災の翌日強制的に入院させられるが、すぐに病院を抜け出し、対局へ向かう。この当時の聖の様子を「まさに死か名人かの選択をしているようや」と森が述べている。鬼気迫る執念で、この年A級八段となる。そして、羽生があと一冠と迫った前人未到の挑戦で巻き起こった“七冠フィーバー”を横目に上京。東京では、師匠森との親交が厚く、本作原作者であり、当時「将棋世界」編集長であった大崎善生の世話になる。滝誠一郎、先崎学など東京の棋士たちとの交友範囲もあっという間に広げていった。
1995 対谷川(浩司)10戦目のA級順位戦で初勝利。「名人が見えてきた」と確信。
1996 27歳 羽生が王将戦で谷川を破り七冠達成、世の中は一大将棋ブームに。棋王戦挑戦者決定戦、日本シリーズ、王将戦リーグと勝ち進んだ矢先、血尿とともに体調を崩し、成績は急降下する。
1997 28歳 東京から広島に戻る。竜王戦1組での羽生戦で“7五飛”という伝説的な名手を放ち快勝。
この対局は聖の生涯を代表する名局と言われる。
1997 勝てば残留のA級順位戦最終局で敗れ、屈辱のB1降級。
そして、膀胱癌、余命半年の宣告。手術を拒否する聖に医師、両親、森の説得が続く。
1997 順位戦が始まる中、手術を決意。生き延びるためではなく再び戦うために。8時間半にも及ぶ膀胱摘出の大手術。1ケ月後、医師が反対する中、B1順位戦を戦うため、関西将棋会館へ向かう。朝10時に始まった対局が終わったのは、深夜1時43分。
173手に及ぶ壮絶な戦いの末、聖は敗れた。“A級復帰、名人になる”それだけが聖を突き動かしていた。
1998 29歳 奇跡のA級復帰。しかし、勇躍の思いで広島へ帰郷した聖を待ち受けていたのは癌再発の宣告。そして次期休場を決め、誰にもそれを告げなかった。
NHK杯決勝を羽生と戦う。聖の指し手が冴えわたり、最終盤羽生も投了を覚悟していた。しかし信じられない大落手で、急転直下の敗北を喫する。二人の最後の対局となる。
広島市民病院に入院。誕生日の日、肝臓への癌転移宣告。入院生活中も、名人への夢は決して諦めていなかった。
1998 8.8 意識が混濁する中、棋譜を諳んじ始める。「8六歩、同歩、8五歩…」「2七銀」、
これが辞世の言葉だった。死因は進行性膀胱癌
(※)ネフローゼ:
腎臓の濾過機能の異常で、蛋白が尿へ排出し、血液中の蛋白濃度が減少することにより浸透圧のバランスが崩れ、水分が血管から組織へ漏れ出し、顔や手足がむくむ病気。蛋白質が不足すると、身体を守る免疫細胞の供給が減少し、抵抗力が低下し、発熱しやすくなる。治療が遅れると肺水腫で呼吸困難に陥り死亡することがある。原因はいまだ解明されていない。ステロイドの投与で治癒・軽快することが多いが、治療抵抗性のネフローゼ症候群は難病に指定されている。